主婦ゆるりのやまやまなこと

たまに喋りたい時にやってきます。日々のことを思い浮かぶままに。ソロ活好きのアラフォー主婦

いい話じゃないクリスマス

今はInstagramがあって、YouTubeがあるから

普通は見れない隣のおうちの家庭の事情まで良く見えるよね。

 

私が子供の頃がこうだったらきっと、私は自分の環境に絶望してたでしょう。

あの頃はなんか世間でやってる感じとうちは違うな〜と思っても気のせいかな位でその明確な差も分からなかったけど、今はあからさまに見えちゃう、それも本当か嘘かも分からない、画面だけを見るとまるでみんな超幸せそうに。

こんな辛いことは無いだろな、どこかで小さい誰かがそれを見て泣いていないといいなって願うばかり。

 

高校生くらいになるとわかるかな、裏側や本当のことは分からないって。でも中学くらいまでは親有りきの環境だからどうにもならないよね。

 

私は知らなかったから不幸も感じてないし、なんなら親からは幸せなんだと思い込ませられていた。

なんだか仲は悪いというか好きになれない親だけどいい方だと思ってた。

けど、あの時の私の事を今の自分から見ると、可哀想だなってちょっと涙が出るけどね。

 

 

子育てをしていて、ここは東京都港区だから周りの親たちは自分の子供たちに他より高いレベルのより良いものをより多く与えようとしてるのを見て、もうとっくに競えないし競うことでもないしとウチはウチで腑に落ちてるけど、

後でうちの子供たちが自分が可哀想だったと思わないように育てたいなと思ってる。

 

私は自己肯定感は高いと思うけど、劣等感はある。大人になればなるほど「あの子は貴族」が見に染みる。

 

上級国民だけの話じゃなくその階級ごとに親がどの程度の生活レベルとか民度とかで将来の子供の道に影響すると思う。

分かりやすく言えば学歴だけど、本質はその学歴に辿りかせるだけの親の力や家庭の背景まで見られているってこと。

 

男も女も親が高卒だろうと学歴や経営でぶち抜いたら親の部分はそう大きくないかもだけど、一人で生きていく話じゃなく家族や子供を持つということになるとやっぱりね。

 

大人になると、何となく雰囲気や喋り方や身のこなしで、親に大切にされてない子だなとか、こんな親でこんな生活レベルだろなとか透けて見えちゃう気がする。

だからあの時の私を今の私から見るとちょっと心がギュッてなる、田舎だったからみんな親のことも知ってるしきっと周りの大人たちも私に対する笑顔は苦笑いだったんじゃないかな。

 

今思うとバカというか無知というか狭い世界しか知らなくて、でも人懐っこかったと思うから優しい大人たちに見守られてはいたなって思う。

あの時のあの人のあの言葉は、私が困った時には助けるよ相談しておいでって合図だったんだなって。

もちろん世間知らずな子供に手を出そうとしたり誘惑してくる大人もいたけどそれに靡かず生きてこれたのも安全な場所に置いてくれる人達や友達が本当いつも運良く居たからで、私なんて色んな一線を越えかねない位の場所で生きてたなと思う。

 

だから自分の子供たちはもう環境って意味ではいい場所に居れてるなと思うし、私の子供時代を知ったら信じられないんじゃないかな笑

教える気もないけど、それでいい。

 

たまに昔の自分を思い出して涙が出る、でも自分のせいでは無いしあんまり自分の事だったって思ってない。小さい時の可哀想な私はあの子で今の私とは繋がっていない。

自分の人生を悲しんではいない、あの可哀想な子こうして欲しかっただろうな、こうしてあげたいって思ったことを今してる。

自分の子供のことを育てながら、こっそり少し小さな時の私のためにやってることもある。

 

自分がした辛い経験を誰にも経験させたくないとか言って改善活動や保護活動している人がいるけれど気持ちがわかる。他の誰にもこんな思いしてほしくない気持ちももちろんだけど、する事で自分のことも救っている。

それにあの時のあの気持ちがこの現在も誰かがどこかで感じてるなんで辛すぎるんだよね。

 

今は自分の子供が幸せ思って生きてけるといいなと一生懸命だけど、あの子に会うことがあったら私にできる幸せをあげたいなっていつも片隅に思ってる。